電気・システム系統 建設工事部 電気工事課 宮川 健太郎 2009年入社/創造理工学専攻修了
一時は教師もめざしていたが、技術者として人の役に立つ仕事がしたいと考えて、インフラの世界へ。
JR東海を選んだのは、日本の大動脈というスケール感に惹かれたからだった。
現場で輝く“技術屋”でありたいと考えている。
“頼む! 走ってくれ!”
胸の内で叫びながら、宮川は試運転車両を凝視していた。
新大阪駅27番線。
工事関係者が見守るなか、試運転車両が当たり前のように走り抜けていく。
宮川自身が設計した信号が、やはり当たり前のように動いた結果であった。
数百人の作業員による上り本線3箇所同時切換工事など幾多の切換を経た後に行われた試運転。
宮川に完璧な仕事をした自信はあったが、それでも何か落ち度はなかったかという不安。
それが杞憂に終わったと知ったとき、宮川はホッと一息をつき、大きな達成感を得たのだった。
“自分のつくった論理で信号が動いた。
なんてデカい仕事なんだ”
宮川は握りしめていた拳からゆっくりと力を抜いた。
東海道新幹線の輸送力増強のために行われた新大阪駅構内のホームおよび引込線の増強工事。
その信号装置の論理設計の担当としてこのプロジェクトにアサインされたとき、宮川はまだ入社1年目だった。
信号は生命線。万が一にも誤作動は許されない。
そのために徹底した確認を行う。
“そこまでやるか”という徹底ぶりが、設計思想の根底にあるのだ。
「安全論理の設計を間違えたら大変なことになる。
そのプレッシャーは、凄まじかった」
だが、設計作業もさることながら、宮川を真に驚かせたのは
その後“戦い”の厳しさだった。
「30分? 20分で十分だろう」
「左じゃダメだ。右から搬入しろ」
工事の段取りを相談した席で、宮川の提案は跳ね返された。
相手はこの道30年のベテラン。
技術力と経験はとてもかなわない。
“オレはガキの使いじゃないんだ!”
そんな言葉を飲み込みながら、宮川は反論できない自分が悔しかった。
計20回以上行われた線路切換工事は、50m×5mという狭いエリアで100人ほどの作業員によって進められる。
しかも時間は終電後のわずか4時間しかない。
信号と同時に行われる他の工事と、場所と時間の争奪戦なのだ。
1年目、2年目、3年目。
この戦いを重ねて宮川は鍛えられていった。
ベテランと戦い、自身の提案が跳ね返される。
経験でかなわないなら、知識で勝負しようと勉強する。
そんな日々を通じて、宮川はさまざまなことを学んでいった。
例えば「結果だけで仕事をするな」という言葉。
表面的な結果だけにとらわれず、つねになぜそうなったかという本質を考えなくてはならない。
鉄道は、長年受け継がれてきた技術の積み重ね。
信号も「なぜここに必要なのか、なぜこうすべきなのか」という考察を忘れてはならないのだ。
そして、ある日突然、宮川は気付いた。
“仕事が難しくなってきた”と。
知れば知るほど、信号は底なしの奥深い世界だとわかってくる。
その難しさに気付いた頃、宮川は信号設計チームの中核となっていた。
信号は、正しく動いて当たり前である。
その当たり前を当たり前にしているのが、宮川の仕事だ。
東海道新幹線というインフラを支える、まさに黒子の存在。
だから宮川はこう思う。
“オレたちが目立っちゃいけないんだ”と。
今日も大勢のお客さまを乗せて新大阪駅27番線から列車が走り出す。
宮川が設計した信号で、当たり前のように列車が走る。
だが、その信号の存在を気に留めるお客さまはひとりもいない。
それが宮川の誇りである。