ベテランと若手の間に立ち、接客の技術継承に取り組む。
上西 剛 Tsuyoshi Uenishi
新大阪駅 1996年入社
障がいのことは意識せず、最前線で働きたいと思った。
旅行好きだった私が、就職先としてJR東海をイメージするようになったのは、学校の先生の薦めによってでした。JR東海といえば東海道新幹線。日本の大動脈を、現場の最前線で支える仕事はとてもやりがいが大きいと思い、志望することにしました。その際、特に障がいについて意識することはありませんでした。
一人のプロフェッショナルとして働ける。
とはいえ、まったく不安がなかったわけではありません。そんな時、学校の先生を通じてJR東海の方から、「駅でさまざまな業務に就いてほしいと考えている。駅では、他の社員とまったく同じように働いてほしい。」と言われたのです。この言葉に私は深く納得し、これならやっていけそうだと感じたのでした。障がい者として特別扱いされることなく、一人のプロフェッショナルとしての活躍を期待されているのだということは、私にとっての大きな励みとなりました。
お互いをプロとして認め合う職場風土がうれしい。
実際、入社後はほかの社員とまったく同じように駅での仕事をこなしています。入社してから2年間、中堅社員が公私にわたってサポートしてくれるアドバイザリー制度もあり、大変心強く感じました。最初は大勢のお客さまに一度に質問され、耳が不自由な私はうまく聴き取れず困ったこともありました。それでも業務に慣れるにつれ、接客技術も向上し、焦らずに対応できるようになりました。今では私の障がいのことを知らない社員も周囲にたくさんいます。それほど当たり前のように業務をこなし、溶け込んでいるわけです。お互いをプロとして認め合い、尊敬し合う風土は、JR東海の魅力のひとつ。障がいの有無を意識することなく、まったく同じ環境で働けることをうれしく思います。
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